アイスを愛す

好きなあいすを好きなだけ~

おばあちゃんとの思い出。

こんにちは。

今日の京都は、「五山の送り火」で一年でも特別な1日です。

っが、今日の私は久々のゆったりお休み。予定もない。やることもない。

ブログを更新して、好きな本を読んで過ごそうと思います。

 

ちなみに今日のお供はこれ…

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

 

 独立数学者・森田真生さんのブックトークで教えてもらいました。

 

さて、今日はタイトルにもある通り、超個人的なブログ、思い出ブログです。

 

2月にこんなブログを書きました。

85歳のお誕生日会。 - mattildaの日記

そんなおばあちゃんですが、6月に入院して体調が悪くなり7月は週末の度に長崎に帰省したのですが、京都の祇園祭が終わった7月の終わりに永眠しました。

 

体調が悪くなったと連絡が入ったものの、仕事ですぐには帰れず、見送ることは出来ませんでしたが、お花の先生が自分の体験として、

「その時には立ち会えなかったけど、何度もお見舞いに行けたことで自分を励ました」と話してくれたことを思い出し、自分を責めることなく長崎に帰れました。

 

私の実家は、とっても田舎の町で、その町で商売をやっています。

今のうちの基盤を作ったのは、まさしく私のおばあちゃんでした。

おばあちゃんを実家が経営する斎場で見送ることが出来たのですが、その葬儀業を始めたのもおばあちゃんで、今から50年以上まえ、長崎の片田舎から腹巻きにお金を大切にしまって大阪まで祭壇を買い付けに行ったと以前話してくれました。

 

私がおばあちゃんと一緒に暮らしたのは、18年間。

私のおばあちゃんは、本当に人に尽くすことが好きなおばあちゃんでした。

 

私も成人式にとっても立派な振袖を作ってもらいました。

 

ここ数年は、「はよ花嫁姿ば見せてくれんね」が口癖でした。

「ばあちゃん、そいは相手があってのことやけんね。」とはぐらかしていましたが、

おばあちゃん、見せてあげれなくてごめんね。

 

私の花嫁姿もさることながら、家族・親族が大好きなおばあちゃんはみんなで集まる機会が欲しかったんだろうなと思いました。

そんな家族・親族が集まったのは皮肉にもおばあちゃんのお葬式でした。

田舎+おばあちゃんの異常な付き合いにより、お葬式、お通夜を含めて4ケタの方が集まってくださり、本当におばあちゃんも喜んでいるなと思いました。

 

妹が弔辞を読んだのですが、

「ばあちゃんあってこその(名字)商店やったばい。」って言った言葉に、みんなが賛同していました。

 

実家を出て8年ほど経つので、私にはまだ実感がなかったりもするのですが、実家にいる母や妹は「寂しい寂しい」とメッセージを送ってきます。本当に私のおばあちゃんは、家族の大黒柱で存在感があってみんなの中心でした。

 

たまに電話すると、「まちこ、次はいつ帰ってくっとかない?」ってとっても寂しがりやでもあったね。入院しているときは、看護師さんたちに「おばあちゃんは本当に寂しがりやですもんね〜」と言われていましたね。

 

そして、最後のほう、薬のせいで意識が朦朧としている時、おばあちゃんはずーっとうわ言でたくさんの人の名前を呼びました。

家族、親戚、近所の人、亡くなった昔の人。本当にみんなといるのが好きだったんだね。

 

最後のお別れのとき、みんなが「何十年後にお浄土で会おうね!」って次会う約束をしてたね。みんなでまた美味しいもの食べたりしようね。

 

昨日仕事中に、私の上司のお爺さまが亡くなったとの連絡が入りました。急のことでビックリされていました。私の様に、気持ちの整理を付けながら死を受け入れることもあれば、やっぱり急な時もあると思いました。

 

ブログを書く間に、外が大変な雨になってきました。

すっごい雨。横なぐりの雨。下界でこんな雨だったら、天に行けば行くほど雨はひどいんだろうか…。

 

とある事情で、とある人と1週間ばかり連絡が取れないのですがとっても心配です。

そんな時こそ、ブログを書こう。大切な人に大切と言おう。

 

メルカリで起きた奇跡、についてはまた次回。。

 

PS、ゆーたぬきさんも似たようなブログ書かれていますね。

いつか息子ができたなら酒を交わしたいと思った - さっきもUたやん