アイスを愛す

好きなあいすを好きなだけ~

あっちの世界

あまりにも多くの「死の現場」をみてきた医師の結論

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35120

 

ってのを読んだので。。

 

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なんだかんだ、 

スピリチュアルブームもひと段落しましたが、みなさんは 

あっちの世界=死の世界 

というのを信じますか? 

(私は一般的な仏教徒だし、霊感があるわけでもありません。 
しいて言えば、一番実家が近い芸能人が三輪様ぐらいでしょうか・・・。) 


私は、どちらかと言えば信じてるほうです。 

今日たまたま夢にもう10年前に死んだおじいちゃんが出てきました。 

そのことをお母さんやおばにメールすると喜んでると同時にうらやましがってました。 
何故ならおじいちゃんは、ほとんど私にしか夢に出てこないからです。 

最近「悼む人」という本を読みました。 

あれは、死んだ人を忘れないために全国行脚しながらその人の生きていたときの 
よい行いや感謝されたことを思い出しながら死を想う(メメント・モリ)なストーリーでしたね。 

私はあの本を読んですごく共鳴したのです。 

私は他人の死までは想えないけど、おじいちゃんのことはずっと忘れないでいようとずっと心に誓っているからです。 

おじいちゃんとは一緒に住んでいたけど、 
特に大切に思ったことはありませんでした。 
おいしいもの食べさせてくれるから大好きだったけど、それだけ。 

でも、ある日突然その死は訪れたのです。 

私は病室内にいたけれど、おじいちゃんの死に目の前で立ち会えませんでした。 
(周りを親戚が取り囲んでた) 

ピカチュウーのネクタイをした主治医を呼びに行かされ、 
おじいちゃんの死の瞬間、私の目の前に見えたのは泣き崩れる家族の姿だけでした。 

私はすごく後悔しました。 

最後のお別れが出来なかったこと。 
今まで感謝の言葉を口に出来なかったこと。 
おじいちゃんとの最後の約束を叶えられなかったこと。 

そしたら死んだその日、夢におじいちゃんが出てきました。 

場面は、その死んだハズの病室。 

おじいちゃんは、私に向かって 

「まちこ、がんばれ。」と言って、私の目の前で死んでいきました。 


小学6年生だった私。今まで、神様とか特に信じていなかったけど、 
死の世界がどこかにあるんじゃないかなーって思いました。 

だから私はその日から東京に出てくるまで6年間、毎日朝学校に行く前、 
おじいちゃんに線香をあげ、ちんちーんと鳴らしておじいちゃんに行ってきますの挨拶をしてから 
学校に通いました。挨拶しないと、なんだか落ち着かなくてその日は1日いいことないんです。 

家と小学校の通学路にお墓もあったから、 
お墓の掃除もして帰る日もありました。 
(そのほかになにもなかったんだよ!) 

そのせいか? 
おじいちゃんは私の夢にちょくちょくでてくれるようになりました。 

今日出てきてくれたのは 
先週、橋本におじいちゃんの妹の家があるので、 
(なんと偶然!!) 
そのときその家の仏壇からお線香あげたからだと思います。 

私はいつも仏壇やお墓では 
「おじいちゃん元気ー?こっちは元気だよー。お姉ちゃんに2人目が生まれたよー」 
なんて話しかけるようにしています。 

ろうそくの火がすぐ消えるときは、おじいちゃんの機嫌がいいとき。 
(=ちょっといいことあるかも!な日) 

ろうそくの火が1回で消えてくれないと、機嫌が悪い日。 
(=ちょっとBADなことが起こるかも・・・な日) 



結局何が言いたかったというと、 

「悼む人」のように全国行脚しろってことでもなく、 

あたしのように毎日線香あげろってことでもなく、 


今回りにいる人を大切にしようってことなんです。 

ちょうど2年前、Kちゃんというステキな友人が 

「死を想え(メメントモリ)」に関してステキなことを教えてくれたんです。 

例えば、他人のブログやこのmixiの日記なんかも、この人が明日いなくなってしまったら、という視点で読んでみると。 

誰かとの会話も、これが最後になってしまうかもしれないと。 

そしたら、ちょっとしたことでイライラしないかもしれないし、ケンカもしないかもしれないよね。 

その人がいてくれるだけでうれしい。HAPPYになれる。その人のことを大切に想える。 



最後にその友人が当時UPしていた詩(?)をここでも引用します。 



『最後だとわかっていたなら』 ローラ・ホートン 

あなたが眠りにつくのを見るのが  
最後だとわかっていたら 
わたしはもっとちゃんとカバーをかけて 
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう 

あなたがドアを出て行くのを見るのが 
最後だとわかっていたら 
わたしはあなたを抱きしめてキスをして 
そしてまたもう一度呼び寄せて  
抱きしめただろう 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが  
最後だとわかっていたら 
わたしはその一部始終をビデオにとって  
毎日繰り返し見ただろう 

確かに いつも明日は やってくる 
見過ごしたことも取り返せる 
やりまちがえたことも やり直す機会が 
いつも与えられている 

「あなたを愛している」と言うことは 
いつだってできるし 
「何か手伝おうか?」と声をかけることも 
いつだってできる 

でも もし それがわたしの勘違いで 
今日で全てが終わるとしたら 
わたしは 今日 
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい 

そして私達は 忘れないようにしたい 
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 
約束されていないのだということを 

愛する人を抱きしめるのは 
今日が最後になるかもしれないことを 
明日が来るのを待っているなら 
今日でもいいはず 

もし明日がこないとしたら 
あなたは今日を後悔するだろうから 
微笑みや 抱擁や キスをするための  
ほんのちょっとの時間を  
どうして惜しんだのかと 

忙しさを理由に 
その人の最後の願いとなってしまったことを 
どうしてしてあげられなかったのかと 

だから 今日 あなたの大切な人たちを 
しっかりと抱きしめよう 
そして その人を愛していること 
いつでも いつまでも 
大切な存在だと言うことをそっと伝えよう 

「ごめんね」や「許してね」や 
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう 
そうすれば もし明日が来ないとしても 
あなたは今日を後悔しないだろうから