顕在的な夢を実現しつつ、彼自身の潜在的な夢を破壊していた。
っとまぁ内田樹さんの「風立ちぬ」の感想から言葉をお借りしたところで、みなさんこんばんわ。
今夜は夜風が気持ちいいですね。
会社の飲み会が思いのほかはやく終わったので、今宵も自分大好きブログにおつきあいくださいませ。
さて、私もいちお書かないといけないかしら。
「風立ちぬ」を観てきました。ジブリを映画館で観るのは初めて。
(ジブリ作品すらまだ片手に入るほどしか観てない)
しかもスクリーンの前から3列目で観るのも初めて。
人生のうち初体験の70%は4歳までに終わってしまうと聞いたことがありますが、この年になっても初体験をいろいろしており、これだから人生はやめられない。
さて、話を戻すと、私は正直主人公の「二郎さん」よりも、その時代背景や周りの人たちに興味を持ってしまいました。ちょうど風立ちぬをみる前に「華麗なるギャツビー」をみて、その予告編で「風立ちぬ」がやっていたんですけど、時代が同じ1920年代なんですよね。
バブル真っ只中のアメリカと、貧しい日本。
同じ時代の極端な生活背景が、その時代に生きるそれぞれの人たちの運命を想像せざるを得ない。
でも、その時代の中でも個人個人にその人の物語があって、今回はたまたま?「二郎さん」が描かれていたけど、例えば二郎さんの妹があの時代にどう苦労して医者になったんだろう、とか、二郎さんの実家のお手伝いさんにも実家があってもう戻れないのかな、とか、名古屋の場面に出てくる商店を見ては「うちの実家もあんなんだったのかな?」とか、なんか変な想像と妄想をしていました。
でも、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所のシーンと軽井沢のホテルのシーンは特に印象的。
おばあちゃんから聞いていた結核の体験が、急にあのシーンをみることで現実味を帯びてきて、、、空の色をみてあそこにいた人たちは何を感じたんだろう。
ホテルで働く身としては、あの軽井沢のホテルの使い方は憧れそのもの。
急に軽井沢に行ってみたくなりました。
っとまぁ。ストーリーよりも時代背景に興味を持ってしまった私。
教科書の世界だった1920年にももちろんそれぞれの人生やドラマがあって、
あの時代から今がつながっているんだと実感できました。
ひねくれものだから、みんながわーきゃー言ってるものには流されたくないのですが、なんか「書いたほうがいい」と言われている気がしました。
おしまい。